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沖縄怪談逆吊り幽霊 支那怪談死棺破り : ウィキペディア日本語版 | 沖縄怪談逆吊り幽霊 支那怪談死棺破り
『沖縄怪談逆吊り幽霊 支那怪談死棺破り』〔各文献により表記にブレが有るが、ここでは日本映画データベース http://www.jmdb.ne.jp/1962/cl001950.htm の表記に準じた。他に、幽霊と支那の間に中点のあるもの(『幻の怪談映画を追って』山田誠二)、各怪談の後に中点があり幽霊の後に読点があるもの(『大特撮』コロッサス編)などがある。〕(おきなわかいだんさかさづりゆうれい しなかいだんしかんやぶり)は、1962年6月13日に公開された、日本と台湾の合作による怪談映画。大蔵映画製作・配給。カラー、88分、シネマスコープ。 == 概要 == 1960年に新東宝の社長を解任された大蔵貢が設立した大蔵映画に、台湾の映画プロデューサーより合作の打診があったのがきっかけである。当時の台湾は日本映画を輸入する場合多額の関税がかかったため、台湾側が51%を出資し台湾映画として製作し、大蔵映画が日本国内の配給権を得るという形式にした。実質的な製作は、全て日本国内で行われ、台湾よりは『支那怪談』の主演である白蓉と梅芳王の二名のみが来日し台湾側のスタッフは名義貸しにすぎず、小林悟が一人で撮り切った。音楽は歌手としても有名な近江俊郎が、大蔵社長の縁故(実弟)により担当しているが、小林監督によると、録音は大蔵の経営するキャバレーの生バンド(ビッグバンド)が演奏したという〔『幻の怪談映画を追って』山田誠二著 1997年洋泉社刊 p.66-73 小林悟インタビューより〕。 沖縄怪談は、真嘉比の逆立ち幽霊からの拝借と思われるが、ストーリーの骨子は四谷怪談に近い。タイトルでは、2本の映画のオムニバスのように見えるが、実際には、沖縄怪談の劇中劇として支那怪談が語られる形式であり、純然たる1本の映画である。しかし、公開時のポスターで、『支那怪談』と『沖縄怪談』を敢えて2行に分けることで、同時上映の『米国(アメリカ)怪談太陽の怪物』''Hideous Sun Demon''〔監督・出演、1959年製作。実験中に放射能を浴びた科学者が太陽光線によって怪物に変身するという狼男の亜流のようなB級SF映画で怪談と呼べる代物ではない。『映画秘宝Vol.7あなたの知らない怪獣マル秘大百科』洋泉社刊 p.283〕との三本立てのようにミスリードさせるというプロモーションを行った〔『幻の怪談映画を追って』 p.6〕。 同作のフィルムは長らく行方不明であったが、1996年に大蔵映画大阪支社の倉庫より、他の怪談映画のフィルムと共に発見された〔『幻の怪談映画を追って』 p.59-61 大蔵映画の記録上は1980年に廃棄処分にしたとある〕。
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